【ホームズゆかりの地】「ハーロウ&ウィルドストーン(Harrow and Wealdstone)」 三破風館の所在地を探れ

DSC 3598

Harrow & Wealdstone Underground Station (Finding Sherlock’s London P25

訪問日:2007年9月14日

ハローアンドウィールドストーン駅は地下鉄ベイカールー線の終着駅です。正典の中では三破風館に登場します。では、その登場シーンを見ていきましょう。

 

Harrow weald, HA1

「三破風館」の中で登場することがFiding Sherlock’s Londonではこのように書かれています。

Mary Maberley asked Holmes to visit her house, Three Gables at Harrow Meald. She had received a very strange offer to buy the house and its contents. Later, the Barney stockdale  Gang burgled the house.

 

延原謙さんの訳を見てみましょう。

事件の冒頭で黒人ボクサーのスティーブ・ディキシーがベーカー街の部屋に現れるシーンから。

「とにかくいうだけの事はいっとく。おれの友だちにハーロウのほうに関係のある男がいる。こういえば何のことだかお前さんにゃわかるはずだが、その男はお前さんなんぞに邪魔されたんじゃ困るといっている。」(中略)「「堪忍してくれ。おれも知らねえんで。ただあの男に『スティーヴよ、ホームズのところへいって、ハーロウの一件に手でも出すと、生命があぶねえぞって言ってこい』といわれて来ただけで、うそもかくしもねえ、それだけの話さね」

ディキシーが退散した後の会話です。

「しかし何だってあんなことをいって、君を嚇かしにきたのだろう?」

「このハーロウ・ウィールド事件のためさ。こうなるとこの問題を手がける気になるね。誰だかしらないが、こんなことをして僕を嚇かそうとするからには、何かあるにちがいないからね」

「ハーロウ・ウィールド事件て何だい?」

「その話をしようと思っているところへ、さっきの喜劇役者がとびこんできたのさ。ここにメーバリー夫人の手紙がある。君もいっしょに行く気があるなら、電報を打っておいて、すぐに出かけるとしよう」

こちらがその手紙の内容です。

「シャーロック・ホームズさま

とつぜんながら一筆さし上げます。いま住んでいます家屋のことに関連して私の身に妙なことがつぎつぎと起こりますので、ぜひあなたさまにご相談申しあげたいと存じます。明日お越しくださいますれば、何時でもお待ち申しております。家はウィールドの駅から歩いても近うございます。亡夫モーティマー・メーバリーも昔あなたさまにお助けいただいたことがございます。

かしこ 

メアリー・メーバリー 

 住所はハーロウ・ウィールドにて三破風館となっていた。」

 

そしてホームズとワトソンは三破風館へ赴きメーバリー夫人から話を聞くことになります。

 

三破風館はどこにあったのか

では、三破風館はどこにあったのでしょうか。

まず、上記のメーバリー夫人からの手紙の中で、「家はウィールドの駅(Weald Station)から歩いても近うございます。」と書かれているのですが、このウィールドの駅というのがどの駅なのか悩むところです。ハーロウ・ウィールド近隣にはウィールド駅というものが見当たりません。

この三破風館の事件が起こったのがいつだったのか確認してみると、ベアリング・グールドによれば1903年のこととされています。他にも1902年という説もあります。(後述のBernard Daviesさんもその一人)ワトソンが発表したのは1926年のことですので、大分時間が経ってから発表したことが分かります。上流階級のスキャンダルを含む内容だったため発表に時間を要したのでしょうか。

訪問したHarrow and Wealdstone駅は、元々は1837年にThe London & Birmingham (後に the London & North Western)線のHarrowという名前で作られた駅だったそうです。今ではLondon Midland, Southern線と地下鉄Bakerloo線の駅となっています。Harrow and Wealdstone駅という名前なったのが1897年のことだそうですので、事件が起こったときにはこの名前だったことが分かります。

DSC 3599

 

1902年の地図を確認してみました。(A vision of Britain through time: Ordnance Survey of England and Wales Revised New Seriesから引用。)

Map Harrow Weald

 

赤枠で囲んだあたりがHarrow Wealdとなります。そしてHarrow駅が青丸の1です。(実際はこの時はすでにHarrow and Wealdstone駅となっていたはずです。)

この1902年の地図には、名前の書いていない青い丸印2の場所に駅があり、Harrow Wealdへのアクセスも良さそう。これがもしかしたらWeald駅かとも思いましたが、調べてみるとこれは1890年にできた支線の駅でStanmore Village駅だそうです(下記のDisused Stationsというサイトを参照)。ということで、当時もウィールド駅という名前の駅は無かったようです。

ということで、メーバリー夫人が言った「ウィールド駅」というのは、Harrow and Wealdstone駅のことで間違いないかと思います。

駅のある場所はWealdstone郡で、メーバリー夫人が住むHarrow Wealdとは違う行政区画だったようです。さらにWealdstoneにはWeald村というのもあったようですので、メーバリー夫人はWealdstoneにある駅ということでウィールド駅と言ったのだと思われます。

三破風館の描写ですが、次のようになっています。

少しばかり汽車に乗り、少しばかり馬車を走らせると、草ふかい荒れ地の中に建っている木造に煉瓦を配した別荘ふうの一戸建のその家へ着いた。二階の窓の上に申しわけばかりについている出張りが、三破風館の名のいわれを示している。背後は陰気な小松林で、全体の印象はうらぶれてみすぼらしかった。

メーバリー夫人は駅から歩いても来られると言っていますが、ホームズとワトソンは馬車を使ったようです。確かに、駅からHarrow Wealdまでは1~2㎞ほどあったようですので、馬車で行っても不思議ではありません。

ここでもう一つの地図を紹介したいと思います。

Harrow development fromthemid 19th century

これはHarrow development from mid 19th centuryというサイトにあった地図で、黒い部分が1850年からの定住地、他の網掛けは1900年以降の新しい定住地となっています。

Harrow Weald部分を拡大してみます。

Harrow Weald

 

⑨がHarrow Weald郡で、⑩がWealdstone郡です。

上記の「全体の印象はうらぶれてみすぼらしかった」という描写、そしてメーバリー夫人とホームズが次のような会話(「この家へ参りましてから一年あまりになりますけれど、もう隠居のつもりでございますから、ご近所ともあまりご交際はいたしておりません。」(中略)「あなたはこの家に移って一年におなりなのでしたね?」「二年ちかくなります」)をしていること、そして前の所有者がいたこと(「そこが問題ですよ。この家は誰の所有だったのですか、あなたの前には?」「ファーガスンとかいう隠退した船長さんでございますの」)、そしてこの事件が1902年か1903年に起こったということから、1900年以降に建てられた建物ではないと思われます。従って上記地図の黒いエリアのどこかに三破風館はあったものと思われます。

 

ヒントは「草ふかい荒れ地(undeveloped grassland)の中に建っている」と「背後は陰気な小松林で(Behind was a grove of melancholy, half-grown pines)」ということでしょうか。

 

残念ながら当時の地図には林の標記はありません。参考までに現在の周辺の地図(航空写真)をGoogle Mapで見てみましょう。

Harrow Weald

 

当時の林が残っていない場所もあると思いますが、今ある林は1900年以降に林になったと言うことは考えにくいと思います。この地図から見るとブルックスヒルあたりとその北のベントリープライオリと呼ばれていたあたりは今でも林が残っているようです。ただし、メーバリー夫人が駅から徒歩で行けると言っていること、スタンモア駅やハッチエンド駅(当時のPinner駅。現在の路線ではHarrow and Wealdstone駅の二つ先。上記航空写真では画面左側。一つ先のHeadstone駅は1913年開業なので事件当時はない。)を使っていないことから、ブルックスヒルやベントリープライオリまではいかないようにも思います。

また、Half-grown pinesということは植えたばかりの松の木ということなので自然の林ではなく裏庭に新たに植えた松林で大きな林ではなかったのかもしれません。現在のこのあたりの家を見ても裏庭に木がたくさんある家が多く見られます。

総合するとこのあたりにあったのではないかと推測できるかと思います。

 

Three Gables

 

あとは当時の建物の情報や植生などについて分かると良いのですが、正典と地図による探索はこのあたりが限界です。

 

「材料だ、材料だ、材料だよ! 粘土がなくて煉瓦が作れるもんか!」

 

先行研究の紹介

ここで、先人の説も検証しておきたいと思います。Sherlock Holmes Journalの電子版(1952〜2002年)を検索したところ、ホームズ地理学の大家、Bernard Daviesさんがこの問題に取り組んでいることが分かりました。「In Beds with Sherlock Holmes」というシャーロック・ホームズ・ソサエティ・ロンドンによるミドルセックス、バッキンガムシャー、ベッドフォードシャー訪問のためのハンドブックの中の、「North West Passage」という記事で、他の場所とともに三破風館の場所を検証しています。(同名の本も出版されているようですがこれとは別物です。)確認してみたところ、Daviesさんの論文集である「Holmes & Watson Country」にもきちんと収録されていました。 

Daviesさんが三破風館を特定するにあたって重視したのは次の3点でした。

  1. 駅から徒歩圏内であること。(行きに馬車を使っているのは、少し離れたHarrow on the Hill駅を使ったからではとの推理。こちらの方がベーカー街から早くいけるし便数も多い。)
  2. 南向きに小道がある。(帰りに歩いて通りに出ているが、駅に近い方に向かったとしたら南向きに小道を歩いているはず。)
  3. 正面から裏手の小松林が見える。

 

この条件に当てはまる建物を1902年の地図(私がネットで調べた地図よりも縮尺が大きいもののようです。)で調べたところ、この3条件に当てはまるのは一件しかないとのこと。それがRisingholmeという建物だそうです。

Holmes & Watson Country P23

Holmes & Watson Country P23から引用。

当時の地図上では、このあたりになります。

Davies Location in 1902map

私が上で予想している場所の下側の赤丸よりもう少し下でしょうか。

住所で言うと現在のNo.224, High Street, Wealdstoneとなるそうです。

私は住所はHarrow Wealdだと考えましたが、Daviesさんはこの家が条件に当てはまるため、住所はWealdstoneだと考えているようです。WealdstoneとHarrow Wealdの境界となるHigh streetのWealdstone側にあったので、Harrow Wealdと言っても良いだろうとのこと。

現在の地図で見ると場所はこのあたりになります。

Davies` location1

 

もう少し拡大してみましょう。

Davies Location2

 

 Google Street Viewで見ると現在はこのような建物になっているようです。

Davies Location 3

 

 Google Mapで住所で検索するともう一区画南の部分が当該の住所として表示されます。しかし、Daviesさんの文章を読むと、後に南側にRisingholmes Roadが走ったと書いてあることから、ここの区画なのだと思います。ただ、Daviesさんの示した地図の位置(道路から少し入ったところ)に、現在建物はないようです。

 

 

Daviesさんはロンドンホームズソサエティの大先輩。私も一度しかお会いしたことがありませんが、それはソサエティの行事で南ロンドンのホームズゆかりの地を巡るツアーでのことでした。(ツアーの様子はこちらから。南ロンドンツアー前編後編

残念なことにすでに亡くなられてしまいましたが、その著作はホームズゆかりの地を研究するものにとってはどれも参考になるものばかりです。その集大成である「Holmes & Watson Country」はすばらしい論文集です。(Daviesさんのサイン入りの限定版を入手しました。)

 

現在のHarrow and Wealdstone駅の周辺の様子

最後に、駅の周辺で撮った写真を少し紹介しておきたいと思います。

Harrow Weald

近くの公園です。

DSC 3602

 

近くの通りの様子。

DSC 3608

 

Tomo’s Comment 

残念ながら、ロンドンに住んでいた当時は手元にあった資料も限られていたため、事前に十分な文献にあたってから訪問することができていませんでした。今であれば、今回のようにこれだけ下準備をしてから訪問できていたと思うとちょっと残念ですが、こうして少しずつホームジアンとして成長してきているということなのかもしれません。

 

 

今回参考にしたサイト

Wikipedia: Harrow & Wealdstone station

British History Online: Harrow, including Pinner Suburban development

 
 

A vision of Britain through time: Ordnance Survey of England and Wales Revised New Series

Disused Station Site Record: Stanmore Village


スポンサードリンク

4 件のコメント

    • アクセスはあまり増えてません。もう少し更新しなくてはいけないと思いつつ更新頻度が低いのとテーマがマイナーなのが原因なのは分かっているのですが。
      UUは6000から7000くらいです。

  • あう へ返信する コメントをキャンセル

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください