ロンドン留学中、暇を見つけては「Finding Sherlock’s London」という本を参考に地下鉄駅ごとにゆかりの地を巡っているのですが、今回はシャーロック・ホームズ・ソサエティ・オブ・ロンドンのイベントウィークの一環として開催された「バーナード・デービスさんといく南ロンドンツアー」に参加して訪れたホームズゆかりの地を紹介します。
偉大なホームジアンで地理学の大家バーナード・デービスさん
バーナード・デービスさんはホームズゆかりの地を探す専門家で、ワトソン博士が住所を正確に書いていない場所を当時の建物や道路などをもとに見つけてきました。
実際にホームズゆかりの地巡りをすると分かるのですが、ワトソン博士の書いた住所には架空の番地があったり架空の地名があったりするので住所が書いてあってもなかなか見つけるのが困難です。住所が書いていない場所は、文献も持ち込んでいない短期滞在の私ではとても調べることは難しく、また車もないので公共交通機関がない場所は訪れるのも大変です。ですので今回のバスツアーは非常に貴重な体験となりました。
ロンドン・ホームズ協会のイベントで、バーナード・テービスさんが案内してくれるツアーは1994年に開催されたそうですので、今年参加できたのもラッキーでした。
そんなわけで、申し込みから今日までとても楽しみにしていました。
可愛らしいバスに乗って出発
集合は9時15分、エンバンクメント駅ということでした。駅の出口に行っても集団は見あたりません。みんなバスに向かっているのかと思い、バスを探して見渡してみると、こんなバスが目に入りました。
よく見ると今日のツアー名が入っています。
事前の募集要項では35人定員ということだったので、観光用の良くある大型バスかと思っていたのですが、これは嬉しい誤算でした。
このバスは1956年に製造されて、田舎の方で実際に走っていたそうです。(ツアー中も一日町中の人たちの注目を集めました。)
参加者は、バーナードさん、ソサエティのチェアマンのガイさんを含め、全部で23人。乗り込むと、ちょうど一席だけ余ってぴったりでした。(出発時に点呼もとらず大丈夫かと思っていたら、やっぱり見つけられなくて参加できなかった人がいたようです。英国もきっちりしていると思いきや意外とこういうところがあります。)
今日のルートが書かれた地図をもらって出発です。
四つの署名に登場するサディアス・ショルトーの家を探訪
今回のツアーでは、主に「四つの署名」に登場した場所を中心に回るとのこと。
「四つの署名」という事件の発端は、後にワトソン博士の妻となるメアリー・モースタン嬢の依頼で幕を開けます。インドの連隊所属の父が行方不明になり、その後、差出人不明で「大きな美しい真珠」が毎年送られてきました。そして6年が経った後、こんな手紙が届けられました。
今夕七時、ライシアム劇場そとの左より三本目の円柱まで来られよ。あなたは不当に不幸な仕打ちを受けている女性だから、正義の補償をうけるべきである。疑わしければ二人の友人を同伴されよ。ただ警官を伴ってはいけない。そんなことをすればすべては空しくなるだろう。あなたの未知の友より
そしてモースタン嬢はホームズとワトソンに同行を依頼するのです。
待ち合わせ場所のライシアム劇場はいまでもロンドンに残っています。
今回の出発はライシアム劇場ではありませんでしたが、集合場所であるエンバンクメント駅を出発し、ウェストミンスターから事件のルートに合流して、ホームズ達が馬車に乗せられてたどった道に沿って南ロンドンを目指します。
正典ではホームズはこのように道順を述べています。
シャーロック・ホームズは、広い四つ角へ出たり、曲りくねった横丁をぬけるたびに、まちがえずにその名を教えてくれた。
「ロチェスター通りだ。ここはヴィンセント広場だ。ヴォクスホール橋通りへ出た。河を渡ってサリー州へ行くんだな。そら、もう橋へかかった。見たまえ、水面がちらちら光っているだろう?」
なるほど、テムズ河のひろい水面がほのかに街灯をうつして、音もなく暗く流れている。と思うまもなく、馬車はひたはしりに駆けて、やがて向う河岸の名も知らぬ街へと、はいってしまった。
「ワンズウォース通りだ。プライオリ通り、ラークホール小路、ストックウェルの広場、ロバート街、コールドハーバー小路、――あんまりぞっとしないところへつれこむな」(延原謙訳)
バスも、Vauxhall橋を通ってテムズの対岸に進みます。Landsdown, Biufield, Stockwell, Sydney, Robsurt, Loughboroughと進みます。
シャルパンティエ夫人の家に寄り道
途中でちょっと寄り道をして、「緋色の研究」で登場したシャルパンティエ夫人の家を見学しました。
シャルパンティエ夫人というのは、「緋色の研究」にちょっとだけ登場する人物で、ブリクストンで殺害されたドレッパー氏と、秘書のスタンガスン氏が下宿していたのがシャルパンティエ夫人の所でした。
被害者は数週間来ロンドンに滞在中のアメリカ紳士で、カンバウエルのトーキー・テラスのシャルパンティエ夫人方に下宿していたが、旅行には秘書のジョゼフ・スタンガスン氏を連れて、本月四日の火曜日にシャルパンティエ夫人に別れをつげ、リヴァプールゆき急行列車に乗るといってユーストン駅へむかった。
バーナードさんが見つけたシャルパンティエ夫人の下宿屋は、コールドハーバー・レーン(Coldharbor Lane)のドーヴァーテラス(Dover Terrace)という建物だそうです。
正典ではトーキーテラスとされていますので名前も似ています。
名前の他にもう一点、デービスさんがここだと推理した理由は次の描写です。
そこでじっと待っていますと、十五分ばかりして家のなかが急にそうぞうしく、取っ組みあいでもしているらしい物音が聞えてきたと思うと、ふいに玄関がさっとあいて、ふたりの男が現われました。ひとりはドレッバーですが、あとのひとりは見たこともない若い男です。初め出てきたとき、その男はドレッバーの襟首をつかんでいましたが、石段の上までくると、どんと突いておいて蹴とばしたので、ドレッバーは往来のまん中までころがってゆきました。そのあとから若い男は太い棒を振りながら、『やい畜生! 無垢な娘を侮辱すると承知しないぞ!』と罵声を浴びせかけました。
という記載から、石段から通りまでの距離が短い建物という条件にあう建物がドーバーテラスだったということです。
(ここは下車しなかったので写真は撮れませんでした。)
いよいよサディアス・ショルトーの家に
この後はいよいよホームズ達が馬車で連れて行かれたサディアス・ショルトーの家に向かいます。
バーナードさんが探し当てたサディアスの家は、13 Gubyon Avenueにあります。(当時は1〜7番地だったそうです。)
場所はこちら。
こちらがサディアス・ショルトーの家と目される家となります。
正面から見た建物全体です。
バーナードさんが、なぜここだと推理したのかという理由を説明してくれました。
まずは、ワトソン博士の記載を紹介しておきます。
馬車はほんとにいかがわしくも、怪しげな街区へと乗りこんでいた。両がわには暗い煉瓦づくりの建物が続いて、わずかに角々の酒場だけが、けばけばしく下品に照り輝いているばかりだった。それぞれ小さな前庭をもつ二階建の家なみがあるかと思うと、そのつぎには煉瓦の色もま新しい新築の建物が、はてしなく続いている。――それはおそろしい勢いで市外へ発展してゆく大都会の巨大な触角ともいうべきものだった。そしてついに、この新開地に建てられた一群の家の三軒目の門口へ馬車はとまった。
となり近所はすべて空家で、三軒目のその家も、台所の窓からたった一つのほのかな灯火がもれているだけで、そのほかは近所の家とおなじにまっ暗である。
デービスさんが調べたところ、次のことが分かりました。
- 裏手のキッチンの窓の明かりが通りから見えたのは当時この家しかなかったこと(他の家は壁で見えない構造になっていたそうです)
- 1888年当時まわりの家は入居者が入ることになっていたもののホームズ達が訪問した時はまだ空いていたこと
- この通りは1888年当時開発されたばかりの地で、それまで通りの名前を正確に把握していたホームズが最後に通り名を言えなかったのはそのためだったから、
ということで、この家をサディアスの家と推理したそうです。一同納得でした。
ここがそのキッチンの窓の位置です。
「ノーウッドの建築士」のジョナス・オールデーカーの家とジョン・ヘクターが泊まった宿
さて、サディアス・ショルトーの家を出発したデービスさんと参加者一行は、「四つの署名」のとおり、サディアスの兄、バーソロミューの家に向かいました。
その途中でちょっと寄り道もありました。
まずバスが立ち寄ったのは「ノーウッドの建築士」に登場するジョナス・オールデーカーの家です。
219 Gipsy Rdがその場所とのこと。ここが当時あった唯一の一戸建ての建物だったのが場所の特定の決め手となったのだそうです。
ホームズも次のように説明しています。
ノーウッドのディープ・ディーン荘というのは、けばけばしい煉瓦建の大きな近代的な別荘風の家だった。一戸建で、表に月桂樹の寄せ植のある芝生があって、右よりの奥が例の火事のあった材木置場になっている。(「ノーウッドの建築士」より)
ここもバスから見るだけだったので写真を撮る時間がありませんでした。
場所的にはこちらとなります。
次によったのが、同じく「ノーウッドの建築士」で、オルデーカーに呼ばれた帰り、家に帰る列車を逃したジョン・ヘクター・マクファーレンが泊まったというAnerley Armsでした。
さて、オールデカーさんの家は出たけれど、時刻がおそいので、ブラックヒースまでは帰れません。いたしかたなくエナリー・アームズという宿屋に泊りました。そして、朝になって新聞でこの恐ろしい事件の記事を読むまでは、まったく何も知りませんでした。(「ノーウッドの建築士」より)
ジョン・ヘクターはオルデーカーによって無実の罪を着せられそうになるところをホームズに救われることになります。
ここでしばし飲み物休憩です。
建物全体はこのような建物となっていました。
1階がパブになっていますが、上階はかつてはホテルとして使われていたものと思われます。(過去にはAnerley Hotelだったとの記録もあるのですが、いつAnerley Armsになったのかについては判明しませんでした。)
このPubのすぐ近くにAnerlyの駅があります。
時間的にこちらの駅からブラックヒース行きの列車がもうなかったということだと思います。
バーソロミュー・ショルトーの屋敷へ
飲み物休憩の後、バスは「四つの署名」のルートに戻り、バーソロミューの家へ向かいます。
到着したのはRoss Roadです。
ここでバスを降りてバーソロミューが住んでいた、そして殺害されていた現場へ向かいます。
そしてこの家がバーソロミューが住んでいたPondicherry Lodgeとバーナードさんが考えている家です。(今はKilravock Houseと呼ばれています。)
こちらが今は正面(斜面上側)になっていますが、斜面の上に立っているため反対側はさらに下の階があって、当時はそちらが正面玄関だったようです。今あるドアはあとで作られたものだそうです。
ここでワトソン博士のこの家に関する記載を紹介しておきます。
ポンディシェリー荘は一軒だての家で、頂にガラスの破片を植えこんだ高塀がめぐらしてあった。入口は鉄製の金具もいかめしい片開戸のせまいのが一つあるだけだった。(中略)内がわは殺風景な庭で、砂利をしいた小路がうねって、向うに見える大きな四角い平凡な建物のほうへつながっている。その建物はすべて暗黒のうちに包まれて、わずかに一隅を照らす月光が、天窓のガラスに照りはえているばかり、建物の大きな姿と、陰気にひっそりとしたさまとは、見るだけでもぞっとするほど不気味であった。(「四つの署名」より)
こちらがその赦免した側(当時の表側)となります。
屋敷の捜索を終えたホームズは、犯人らしき人物が残した足跡をたどるためにワトソンにある犬を借りてくるようにお願いしています。
「きみはモースタン嬢を送りとどけたら、ランベスの河岸をすこし行ったところのピンチン横丁の三番まで行ってくれないか。右がわの三軒目に鳥の剥製屋がある。シャーマンという名だ。ウインドーに、小さな兎を捕えているイタチの剥製が出ているからすぐわかる。シャーマン老人をたたき起してね、僕の名をいって、大至急にトビイが入用だからって借りうけて、馬車にのせてつれてきてほしいんだ」
「トビイって、犬だろうね?」
「そうさ。へんちきりんな雑種犬だがね、驚くべき嗅覚をもっている。このさいロンドンじゅうの探偵を集めたより、一匹のトビイのほうが役にたつんだ」(「四つの署名」より)
ワトソンがトビイを借りてくると早速追跡が開始されます。
トビイは財宝をさがすので掘りかえされ、土くれだらけになった庭を横ぎり、穴や溝を迂回して、右のほうへと進んだ。きたなく荒れはてて、雑木が一面に繁茂した庭の光景は、邸内で行われた惨劇にふさわしいといえるくらい、陰惨なものであった。 トビイは塀の根もとを走りまわっては、あちこちと臭いを嗅いでいたが、ついにブナの若木の生えている一隅へ来て止った。そこは二つの塀の出あったところで、いくつかの煉瓦がぬきとられ、そのあとへできた穴の下がわが摩滅して角が丸みをおび、たびたび梯子の役をつとめたことを物語っていた。ホームズは塀によじのぼり、私からトビイを抱きとって向うがわへおろしてやった。(「四つの署名」より)
下の写真遠くにポンディシェリー邸が見えますが、当時はこのあたりまでが前庭になっていたようで、ホームズとワトソンがトビイを塀越しにおろしたのもこの辺ではないかとのことでした。
手前の道や家はその後開発されたそうで、当時はなかったそうです。
バーナードさんがこの家と推理した理由は天窓だとのことでした。
内がわは殺風景な庭で、砂利をしいた小路がうねって、向うに見える大きな四角い平凡な建物のほうへつながっている。その建物はすべて暗黒のうちに包まれて、わずかに一隅を照らす月光が、天窓のガラスに照りはえているばかり、建物の大きな姿と、陰気にひっそりとしたさまとは、見るだけでもぞっとするほど不気味であった。(「四つの署名」より)
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ワトソン博士の記述からここまで合致する家を探し出すのはかなり大変だったと思います。
サディアスの家で言えば、当時の家の入居者の情報、この地域が新しい開発地だったことなど、各種の記録にアクセスするだけでも大変な作業です。まだバーソロミューの家も、当時の前庭の状況などを知るのは大変だったと思います。
これは短期滞在者にはなかなかできないことで、現地に長く住んでいるホームジアンならではの研究だと感心しました。
この後、一行は「緋色の研究」の一シーンで描かれる場所に向けて再度バスに乗り込みました。
後編はこちら
【ホームズゆかりの地】ロンドン・ホームズ協会主催・南ロンドンツアー(後編)「緋色の研究」のジョン・ランス巡査の家へ! | Master of Life Blog Remaster
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