【ホームズゆかりの地】「カンタベリー(Canterbury)」モリアーティに追われたホームズが途中下車してやり過ごした駅を探して

カンタベリー大聖堂

Canterbury West Railway Station

訪問日:2007年6月23日

カンタベリーに行ったのは、ロンドンに留学していたとき全課程が終わる直前にコースの行事として2泊の旅行をしたときのことでした。

カンタベリーといえば、英国国教会の中心、カンタベリー大聖堂の街。しかし、カンタベリーと言えばホームジアンにとっては「最後の事件」なのです。

モリアーティ教授による追跡

「最後の事件」は、ホームズが犯罪階のナポレオン・モリアーティ教授一味を一網打尽にすべく奮闘し、最後はモリアーティ教授と1対1でスイスのライヘンバッハの滝で対決をするという物語。

ワトソン博士を訪ねたホームズは、モリアーティ一味の一斉検挙に備えて、しばらく大陸を一緒に旅をして欲しいと話します。そして、ビクトリア駅で落ち合う約束をしますが、モリアーティ教授の追跡を避けるため、ワトソンには入念に追っ手を撒くよう複雑な行程でビクトリア駅まで来るように入念に指示をしたのです。

無事に列車のコンパートメントで落ち合えた二人でしたが、発車間際に現れたモリアーティ教授を見て、ホームズはモリアーティ教授が特別列車を仕立てて追跡することを予測し、途中で停車したカンタベリー駅で下車、モリアーティ教授をやり過ごすことにします。

その模様をいつものように新潮文庫の延原さんの訳でみてみましょう。

「じゃどうすればいい?」
「カンタベリーで下車しよう」
「それで?」
「それで、そうさ、山越えしてニューへイヴンへ出て、そこからディエップヘ渡るんだ。」

(中略)というわけでカンタベリーで下車したが、きいてみるとニューへイヴンゆきの列車はあと一時間待たなければ出ないという。
旅行かばんを積みこんだ手荷物車が、みすみす消えていった方角を、残りおしくいつまでも見送っていると、ホームズがそでをひいて、線路のかなたを指さした。
「ほら、もう来たぜ」
はるかの森かげに一団の黒煙が現われたと思うと、みるみるそれは近く大きくなり、一分後には一輛の客車をひいた機関車が、カーヴにのって突進してくるのだった。いそいで荷物の山へ身をかくすのとほとんど同時に、特別列車はすさまじい轟音をたてて、熱気を吹きつけながら通過していった。

そのときの様子はシドニー・パジェットのイラストでも描かれています。

最後の事件

グラナダ版ホームズでも、荷物の陰に隠れて特別列車をやり過ごすシーンがありました。

グラナダTVシャーロック・ホームズカンタベリー

グラナダTV「シャーロック・ホームズの冒険」「最後の事件」より

そんな「最後の事件」に登場するカンタベリー行きを楽しみにしていたのですが、このときに使ったのははカンタベリーウェスト駅。カンタベリー駅じゃないんだと改めて路線図を見ても、カンタベリーと名の付く駅はもう一つカンタベリーイースト駅があるのみ。

もしかして原作ではイーストかウェストが付いていて、略されているだけかとも思ったのですが、原作もカンタベリー駅となっています。さらに当時の鉄道マップで確認してみたところ、カンタベリーとしか書かれていません。

カンタベリー駅の歴史

カンタベリー駅について調べてみました。

19世紀に鉄道が整備されてから最後の事件の当時カンタベリーを通っていた鉄道は3社あったようです。(合併して最後は一つの会社になりました。)

(最後の事件の時にはオープンしていなかったElham Valley Railwayとこちらもまだ使われていなかったカンタベリー・サウス駅については関係ないので検討からは外しています。そしてサウス駅はすでに閉鎖されてしまっています。)

カンタベリーを通った最初の鉄道会社は1830年に開通したカンタベリーとウィスタブル間を結ぶカンタベリー&ウィスタブル鉄道(Canterbury & Whitstable Railway:CWR)。英国で初めて蒸気機関車で旅客を乗せて走った路線という説もあるようです。リバプールーマンチェスター間という説が有力なようですすがその4ヶ月前に走っていたそうです。(例えばこちらのサイトなどで説明されています。)

ウィスタブルにもこのとき行ったのですが、小さな港町で老後を過ごす場所として人気の様子でした。

ウィスタブルの街

ウィスタブル

その後カンタベリーのあるサリー州では、ロンドン・チャタム・アンド・ドーヴァー鉄道(London Chatham & Dover Railway : LC&D)と、前述のCWRとロンドングリニッジ鉄道(London Greenwhich Railway)を統合してできたサウス・イースタン鉄道(South Eastern Railway : SE)とが激しく路線を競い合うことになります。

1846年にはSEがAshford to Ramsgate lineを支線として開通、これがカンタベリー・ウェストを経由しています。また、1860年にLC&DがFaversham – Canterbury – Whitstableを開通し、翌年にはCantebury-Doverを開通しています。こちらはカンタベリー・イーストを経由。

これらの鉄道会社が利用していた駅についてですが、最初のCWRの駅が使っていた駅はカンタベリー・ウェスト駅のすぐ東側にあったそうですが、1931年に旅客サービスを終了し1953年に完全に閉鎖されてしまったそうです。

次のような銘板がカンタベリー・ウェスト駅にあります。

カンタベリーウェスト駅銘板

SEのAshford-Ramsgate間は現在のカンタベリーウエスト駅、LC&DのFaversham−Whitstable間は、現在のカンタベリーイースト駅を通っていたそうです。

昔の地図を見てみると、イーストとウェスト以外にカンタベリー駅というのがあったわけではないようです。下の地図は1900年頃のカンタベリーの地図となります。(こちらのサイトから引用。)

カンタベリーの駅

ウェストとイーストが元々そのように呼ばれていたのか、どちらかがカンタベリー駅とされていたのかについて気になるところですが、1900年前後の地図をいくつか見てみたのですが、駅名が書かれている地図はありませんでした。

カンタベリー・イーストについて下の本を読んでみると、LC&Dが駅をオープンし、それが後にカンタベリー・イーストになったと書かれていました。つまりもともとカンタベリー駅だった可能性があるかと思います。

カンタベリー・ウェストについては、こちらのサイトの写真の下にある解説を見てみると、カンタベリー駅とのみ書かれています。

また上の方で少し書いたカンタベリー・サウス駅を調べていたら見つけたサイトに当時の切符があるのですが、カンタベリー・サウス駅がオープンしてしばらくはカンタベリー・ウェスト駅は単にカンタベリーと呼ばれていたことが分かりました。

切符がいつのものか分からないのですが、途中からカンタベリー・ウェストと書かれるようになっています。同じサイトの時刻表を見ると、1906年にはカンタベリー・ウェストと呼ばれていたことは分かります。

正確なところは分かりませんが、「最後の事件」当時はどちらの駅もカンタベリー駅と呼ばれていた可能性が高いようです。従ってワトソンもカンタベリー駅とのみ書いたと言うことかもしれません。

ホームズの使った駅

さて、ホームズがどちらの駅を使ったかということですが、ホームズがヴィクトリア駅から出発しパリに向かっていたということですので、これは当然LC&Dを使ったと考えられます。(SEはチャリングクロス発)従って、今のカンタベリー・イースト駅で降りたことになります。

いいかい、君は必要な荷物を今晩のうちに、信用のできる使いにたのんで、無名でヴィクトリア駅へはこばしておくのだ。朝になったらタクシー馬車を呼びにやるのだが、使いのものにそういって、最初にきたのと二番目とは避けさせるんだ。そしてこの馬車にとびのって、ローサー・アーケードのストランドがわまでゆくのだが、そのとき行きさきを口でいわずに紙に書いて渡し、御者にその紙を棄てちまわないようにさせるのだ。それから賃銀を用意していて、馬車がとまるや否やとび降りて、九時十五分にアーケードの向こうがわへ出るように加減しながら駆けだすのだ。するとそこに小型の一頭立箱馬車がえりを赤で縁どった黒い外套の御者をのせて待っているから、それへ乗れば大陸ゆき連絡急行に間にあうようにヴィクトリア駅まで送ってくれる

Kent Railways.svg
By Clem Rutter, Rochester, Kent.Own work, CC BY 2.5, Link

カンタベリー・イースト駅でモリアーティ教授の列車をやり過ごしたホームズは、その後山越えしてニューヘイヴンへ出て、船でディエップに行くことを提案しています。

「カンタベリーで下車しよう」
「それで?」
「それで、そうさ、山越えしてニューへイヴンへ出て、そこからディエップヘ渡るんだ。モリアティは、僕だったらやるのと同じことをするんだから、まずパリへいって、われわれの荷物をつきとめ、二日間は荷物保管所を見はっているだろう。そのあいだにこっちは、絨毯製の安かばんでも二つ奮発して、手まわりの必要品はそのへんの田舎できの品でまにあわせ、ルクセンブルク、バーゼルとまわって、ゆっくりスイスへゆくとしよう」

ニューヘイヴン方面への路線はSouth Easternとなりますので、カンタベリー・ウェスト駅を使うことになります。両者は少し離れていますが、馬車などで移動すればそれほど時間はかからなかったと思われます。

ただ、ワトソンは

「というわけでカンタベリーで下車したが、きいてみるとニューへイヴンゆきの列車はあと一時間待たなければ出ないという。」

と言っているので同じ駅から出たような書きぶりです。

ちなみに、ホームズの地理学の大家・バーナード・デーヴィースさんは「Canonical Connections」という論文の中で、カンタベリーまで来た汽車は10時にビクトリア駅を出て、11時29分に着いたものと述べています。そしてカンタベリー・ウェスト駅に馬車で行き、12時8分のアシュフォード方面の汽車に乗ったとしています。

このときは残念ながらカンタベリー・ウェスト駅にしか行けませんでした。

こちらは外観。

カンタベリー・ウェスト駅

ホームはこんな感じです。

カンタベリー・ウェスト駅ホーム

現在では汽車ではなく電車が走っています。これは帰りに撮った写真なので、反対ホーム、もしかしたらドーバー行きかもしれません。
カンタベリー・ウェスト駅電車

ホームズとワトソンの大陸行きルートについて

その後、ホームズが実際にブリュッセルまでたどったルートについてはシャーロッキアンの間でもたくさんの議論があった謎の一つです。

「シャーロック・ホームズの鉄道学」では、ディエップ行きの連絡船のスケジュールから、ワトソンが書いたようにその日のうちにブラッセルに着くのは困難なことから、ホームズはそのままドーヴァーに出るルートをたどったと推理しています。

上記のバーナード・デーヴィースさんは、ワトソンの記載通り、ニューヘイブンに向かい翌日にブリュッセルに着いたとしています。

「その日のうちに着いた」のか、「その日向かった」のかについても議論があり、上記「鉄道学」著者の松下さんはその日のうちに着いたを基本に推理をしていますが、デーヴィースさんはその日のうちに向かい、ついたのは翌日としています。

原文では、「We made our way to Brussels that night」となっており、どちらともとれるのだと思いますが、着いていたのであればarrivedなどを使いそうなものなので、その日のうちにブリュッセルに向かった、そして翌日着いたということなのかと考えています。

このあたりの詳しい解説は、こちらを読んでいただくとより理解が深まるかと思います。

私もこの議論に加わりたいと思うのですが、残念ながら、当時の鉄道に関する情報に乏しいため、今後の課題と言うことにしておきたいと思います。少しずつ当時の鉄道のことなど勉強していますが、やはり当時の時刻表が欲しいところです。

今箱の本を読んでいるところです。

他にも面白そうな本があるのでいずれ入手したいところです。

Tomo’s Comment 

このとき訪問したのはカンタベリー・ウェスト駅のみで、イースト駅には行っていませんでした。

ホームズとワトソンが実際に降り立ったホームには是非行ってみたいところです。また一つ宿題ができてしまいました。

ついでではないですが、グラナダホームズのロケに使われた駅も素敵な感じで訪問してみたい場所です。

ホームズ地理学についてはこちらでも

【ホームズ】ホームズ地理学の大家バーナード・デイヴィスさんの”Holmes and Watson Country”を注文

【ホームズ】ホームズゆかりの地をツアー形式で紹介。「Sherlock’s London Today」を持ってロンドンを歩きたい。

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