Hammersmith Underground Station (Finding Sherlock’s London P24-25)
訪問日:2007年9月10日
ハマースミス駅はハマースミス&シティー線そしてサークル線の2路線、ピカデリー線、ディストリクト線の2路線でそれぞれあるのですが、前者と後者で道をはさんで場所的にはやや離れています。
ハマースミスというのは、ハンマーを使う鍛冶屋さんのことですので、もともとは鍛冶屋がたくさんあったのかもしれませんが、他にも地名の由来はいくつかあるようです。1932年にできたハマースミスアポロ劇場で有名ですが、残念ながらロンドンに住んでいたときに劇場には行く機会がありませんでした。
そんなハマースミスは「六つのナポレオン」でホームズとワトソンが訪問した他、「第二の汚点」、「サセックスの吸血鬼」で言及されています。
Hammersmith, W6
まず、地名としてのハマースミスが登場しているのが「第二の汚点」。「Finding Sherlock’s London」ではこのように説明されています。
In The Second Stain, Mutton, Eduardo Lucas’s valet, was out the night of the murder, visiting a friend in Hammersmith.
「第二の汚点」事件は、1886年に発生したとされています。ヨーロッパ問題相の自宅から盗まれた手紙を取り戻して欲しいと、当時の英国首相が自らホームズに依頼した事件です。ホームズが手がけた事件で最も重要な国際的事件とワトソンは語っています。
延原謙さんの訳ではハマースミスが登場するのは次の一節。
彼が勢いよく立ちあがったとき、私が読みいっていたのは、つぎのような記事なのである。
ウエストミンスターの殺人 ウエストミンスター寺院とテムズ河にはさまれた地点にあって、ほとんど議事堂のたかい塔のかげになり、十八世紀来の古風な家のたちならぶさびしいゴドルフィン街十六番の家で昨夜奇怪なる殺人が行なわれた。小さいながら極上等のこの家には、エドゥアルド・ルーカス氏といって、わが国屈指の素人テノール歌手として声名があり、人柄も魅力あるところから、社交界に顔のひろい紳士が数年前から住んでいた。氏は独身で三十四歳、老家政婦のプリングル夫人と執事のミットンの三人暮らしであった。プリングル夫人は毎夜はやく最上階にさがって寝につくのが例で、執事のほうはハマースミスの友人の家へいって昨夜は不在だった。すなわち十時以後はルーカス氏一人が起きていたことになるが、そのあいだどんなことが行なわれたか、詳しいことはまだ判明していない。十一時四十五分ごろバレット巡査がゴドルフィン街を巡回中、十六番の玄関が半開きになっているのを見て、ノックしたが返事がない。しかし表の間に灯火が見えるので、ホールへ入りこんでその部屋をノックしてみたがやはり返事がない。そこでドアをあけてなかへはいってみた。部屋のなかは乱雑にとりみだしていて、家具類は一方の壁ぎわに押し集められ、中央にいすが一脚ひっくりかえっていた。そしてそのそばに、いすの脚をつかんだままこの家の主人が倒れている。心臓部を刺されているから、即死だったものと考えられるが、凶器は壁に飾ってあった東洋の戦利品のなかのインドの彎刀である。室内の貴重品が物色されていないところから見て物盗りが目的とは思われないが、エドゥアルド・ルーカス氏が社交界に人気のある知名の士であっただけに、この不可解な非業の死をとげたことは、ひろく同氏を知るものにとって傷ましい好奇心とふかい同情をおこさせることであろう。
ワトソン博士が読んでいた記事に登場するエドゥアルド・ルーカスと言う人物は、ホームズが事件に関与していたと疑っていた人物となります。事件現場に通ったホームズが謎を解く鍵となったのが、二つのしみだったというのがタイトルの由来。
そのエドゥアルド・ルーカス家の執事ミットンが訪ねた友人が住んでいたのがハマースミスだったということです。さすがにハマースミスのどこにその友人が住んでいたのかは分かりかねます。
こちらはハマースミスロードの様子です。大企業や外資企業も多くあるなど落ち着いた雰囲気でした。
そしてハマースミスの地名に言及されているもう一つの作品が「サセックスの吸血鬼」。
この事件は、かつて「スマトラの大ねずみ」事件の解決に協力したある会社の顧客、ロバート・ファーガスン氏が吸血鬼について調べているという依頼があったことから、ホームズにまわってきたのが発端となります。ファーガスン氏の妻が、子供を折檻し、赤ん坊の血を吸っていたことから吸血鬼なのではないかと疑っていたのです。
ハマースミスの登場についての「Finding Sherlock’s London」で記載は以下。
In The Sussex Vampire, while Holmes looked in his great index volume under “V”, he found; Victor Lynch the forger, Vitoria the circus belle, and Vigor, the Hammersmith wonder.
延原謙さんの訳で見てみましょう。
それにしても吸血鬼についてわれわれは何を知っているだろう? こいつは僕たちにも営業科目外じゃないかな? まあ退屈しているよりはましだが、何だかグリムのおとぎばなしの世界へ引っぱりこまれたような気がするね。ちょっと手をのばしてくれないか。Vの部に何があるか調べてみよう」
私はうしろへ体を伸ばして、ホームズの求める厚い索引簿を棚から取りおろした。彼はそれをひざの上で平衡を保ちながらひろげて、ゆっくりと、なつかしそうな眼つきで、終生かかって蓄積した見聞や知識の中に混っている古い事件の記録をたどっていった。
「グロリア・スコット号」の航海か。いやな事件だったな。こいつはたしか君が書いたと思うが、でき栄えはあんまり香しくなかったようだぜ。ヴィクター・リンチ、偽造者。有毒のトカゲ。手ごわい事件だったな、こいつは。それからサーカス美人のヴィットリアに、金庫破りヴァンダヴィルトか。まむしにハマースミスの怪物ヴィゴアか。おや! おやおや! やっぱりこの索引はいいね。おろそかにできないよ。いいかい? ハンガリーにおける吸血鬼伝説とある。それからこっちにはトランシルヴァニアの吸血鬼とある」
ハマースミスの怪物ヴィゴアが一体何なのか見当が付きません。そんなとき、まず真っ先に確認するのがレスリー・クリンガーさんが付けた註釈満載のホームズ全集です。
当該の箇所を確認してみるとちゃんと註がついていました。それによると、このwonderについては、Lyric Theatre Hammersmithの退廃的に金でメッキされたベルベットの座席と結びつけようと考える人もいるし、ヴィゴア社という会社が作った乗馬練習のための機械を指すという人もいるそうです。
こちらがその機械です。
このVigor社、一番下の住所を良くみると、ベーカー街21とあります。
ホームズ達の住んでいたベーカー街221というのは、当時は架空の住所で(その後ベーカー街が延びて221番地までできました)、実際の場所は31だったという説が有力です。つまり、この機械、ご近所の会社が売っていたものなので、ホームズもよく知っていたのかもしれません。
Hammersmith Bridge, W6
ハマースミスはテムズ川の側にあり、近くにはハマースミス橋という橋があります。
この橋は実際ホームズ達も「六つのナポレオン」事件で実際に渡っています。
「Finding Sherlock’s London」には次のようにあります。
Holmes made a pact with Lestrade in The Six Napoleons, “If you come with me to Chiswick tonight…I promise to go to the Italian Quarter with you tomorrow.” Later that night, the four-wheeler dropped them near Hammersmith Bridge.
こちらがハマースミス橋です。緑色で綺麗ですね。
もう少し近くに行ってみます。
六つのナポレオン事件というのは、何者かが同じナポレオン像を盗み出し破壊するという事件ですが、途中で殺人事件にも発展し、ホームズがその犯人を追うというもの。
このナポレオン像は同じ工場で造られた6つのもので、犯人を捕まえるまでにすでに4つが壊されていました。
延原謙さんの訳で、ハマースミス橋登場の場面を見てみます。
そういえば残り二つのうち一つはチジックにあるのだ。今晩チジックへゆくというのは、犯人の現行を押さえるために違いない。それを思えば、犯人に安心してひきつづきあとの胸像を壊しに来させるため、故意にまちがった捜査方針を夕刊にださせたホームズの巧妙さには、ひたすら感嘆するほかはない。だから私は、出発のときホームズからピストルを用意してゆくようにいわれた時も、さらに驚きはしなかった。彼自身はお気にいりの、鉛をいれた狩猟用のむちをもっていった。 四輪のつじ馬車が表へきたのは十一時だった。私たちはそれに乗ってハマースミス橋の向うがわまで走らせ、そこで降りて御者には待っているように命じた。そして少し歩くと、住み心地よさそうな一戸建ての家のならぶ静かな通りへでた。その一軒の門柱に「レバナム荘」とあるのが、街灯のあかりで読めた。
チジックについても「Finding Sherlock’s London」では別に分けられていますが、同じ登場場面となっています。
The four-wheeler was at their door at eleven, as Holmes and Watson left for ‘Laburnum Villa in Chiswick. There, with the help of the owner, Mr. Josiah Brown, they solved the case of The Six Napoleons.
レバナム荘はどこに?
ここで気になるのがどこにレバナム荘があるのかというところ。残念ながらクリンガーさんの全集でも註はついていませんでした。ロンドンホームズ協会の地理学の大家、Bernard Daviesさんの著書にも見当たりません。(Daviesさんが何か書いてればクリンガーさんの註にもあるはずですが。)
まずチジックの場所ですが、ロンドン西部となります。
ワトソン博士は、馬車をハマースミス橋の向こうまで走らせたとありますので、ベーカー街から向かったとすると、テムズ川を対岸に渡ったことになります。一方で、チジックはテムズ川の手前に位置しています。(この点についてはクリンガーさんの註がついていました。)
いくつか考えられます。
まず書かれていることがすべて正しいとすると、ホームズとワトソン博士はハマースミス橋を渡って向こう側に馬車を停めて、また橋を渡ってチジック側に戻り、レバナム荘に向かったことになります。(この解釈がクリンガー註でも書かれています。)
ハマースミス橋はそれなりに距離のある橋ですし、歩いても渡るのに5分はかかります。「少し歩くと」と書いてありますので、橋を渡るだけで5分かかるとすると、やや違和感があります。また橋を渡ったとしたら、そのように書いてあっても良さそうです。
他の考え方としては、チジックに向かうルートが最短のものではなく、一度テムズ川を渡って反対側に行き、そこからハマースミス橋を渡ってチジック側に行ったということ。しかしながら、地図をどう見ても、テムズをどこかで渡るのはかなり遠回りになり合理的ではありません。
では、ホームズもワトソン博士もチジックについて間違った思い込みをしていて、テムズ川の向こうもチジックだったと思ったのでしょうか。
しかし、これもあり得ないと思われます。なぜなら、ホームズはロンドンという町をすみからすみまで知っていること、そしてなにより事前にレバナム荘の住人に手紙を送っているからです。
「ああ、ジョサイヤ・ブラウンさんですね?」
「そうです。あなたがシャーロック・ホームズさんでしょうな? メッセンジャーにお託しのお手紙、たしかに拝見しました。どの部屋もすっかり中から戸締りして、待ちかまえていたんです。まあまあ曲者が捕まったのは結構でした。さ、みなさまどうぞおはいりくだすって、お茶でもあがってください」
手紙を出すのに住所を間違えるわけはありません。
もう一つの疑問点は、ハマースミス橋ロンドン側は、チジックのあるハウンズロー地区ではなくハマースミスアンドフラム地区なのです。
もし橋の向こうからチジック側に渡り、そこに馬車を停めてたとしても、最も近いチジック内の場所に行くには歩いて16分ほどかかります。
ワトソン博士達は歩くのは苦にしてない様子ではあるので、16分といえども、少し歩く感覚と言えなくはありませんが、一方で、これだけ歩くのであれば、馬車でもう少し近くまで行ってもよいのではないかと思います。(犯人に警戒させないために馬車を遠ざけたかったとしても、もう少し近くまでいけたと思います。)
さらに言うと、帰りの記載とも矛盾します。
けれどもレストレードが、一刻もはやく犯人を安全な留置場へ送りたがっているので、それから二、三分間のうちに馬車を呼んで、四人で引返すことになった。
歩いて16分の所まで呼びに行くだけで2,3分どころではないことが分かります。
こうして考えると、レバナム荘の場所の二つの条件、橋の向こうであること、チジックにあること、のどちらかを疑う必要があります。
チジックにあったというのは、上記の橋からの距離からの点で疑わしいと思います。実際に橋を渡ったと考えるのが自然です。しかし一方で、ホームズが住所を間違えるはずはない。
この矛盾を解決する一番合理的な考え方は、(ホームジアンがよく使う手ですが)ワトソン博士はあえて住所を偽って書いたということです。そもそもベーカー街221Bという住所も当時は存在していなかった住所ですし、他にも実際の地名と矛盾する記載もいくつかあります。
犯人が押し入った家ということで、住民に配慮して本当の住所ではないチジックということにしていたと言うことが考えられそうです。
では、橋を渡った向こう側、歩いてすぐのところに、レバナム荘らしきものはあるのでしょうか。
ヒントは、「少し歩いた」こと、「住み心地よさそうな一戸建ての家のならぶ静かな通り」という二つとなります。
事件発生が1900年とされていますので、1885年の地図をこちらで見てみました。
するとハマースミス橋を渡った向こうすぐそばには住居が多くある様子。
上の地図上で赤い四角で囲ったあたりは 一戸建ての家が並んでいます。他の場所については、英国でよく見かける大きな家を半分に分けたセミデタッチかあるいは数軒で分けたテラスハウスのようです。英語では、houses, each standing in its own groundsとなってますので、それぞれの土地に立っているということで一戸建てとなってるかと思います。
現在の地図で言うとこのあたりでしょうか。
橋から2,3分で馬車が呼べると言うことは、Londsdale Rdのかなり東側に近いところにあるはずです。
レバナム荘の建物としての条件は、こちらからうかがえます。
その一軒の門柱に「レバナム荘」とあるのが、街灯のあかりで読めた。家人はみんな寝んだとみえ、家のなかはまっ暗で、ただ玄関のドアのうえの欄間からホールの灯火が流れでて、庭の小路をただひと所ぼんやりと照らしているだけである。道路に面した板塀の内がわが、ひときわ暗くなっているので、私たちはそこへ入ってうずくまった。
「よほど待たされるかもしれないよ」ホームズがささやいた。「何しろ雨がふっていないのがありがたい。時間つぶしの煙草もうっかりやっちゃいけませんよ。そのかわり、二つに一つはこの骨折りが報いられるはずなんだから」
けれども私たちの寝ずの番は、ホームズが嚇かしたほど長くはなかった。まったく突然、思いもよらぬ終局をむかえたのである。不意に庭の門がさっと開いて、身がるなくろい人影が、さるのように敏捷に小路を駆けこんでいった。そして一度だけ、欄間からおちてくる光のなかを通るとき、ちらりと姿がみえたが、すぐ家のかげの暗いところへはいってしまった。それから大分まがあったけれど、息をころして待っていると、ぎりぎりと静かにもののきしるのが聞こえてきた。窓をあけているのだ。と、その音がやんで、またしばらくたった。家のなかへ忍びこんでいるのに違いない。しばらくすると突然、家のなかで角灯の光が見えた。だがそこには探すものがなかったらしく、こんどは別の部屋のブラインドに灯火がうつった。そしてまた別の部屋とそれは移っていった。
門柱があること、そのそばに街灯があること、門があること、道路側に板塀があること、玄関のドアの上に欄間があること、庭に小路があること、家のかげに窓がある事、部屋が複数ありそれぞれ窓があること、などでしょうか。
ストリートビューで見ても、さすがに板塀の家は現在ではもうないようです。他の条件に当てはまりそうな家については、ストリートビューからは確認できませんでした。
Tomo’s Comment Follow @tommasteroflife
ハマースミスに行っても何かホームズに直接関係するものがあるわけではないのですが、こうしていろいろと考えるだけでも楽しめます。
訪問当時は上記のような事前調査をして行かなかったので、レバナム荘の特定までは至らなかったのですが、再訪できるチャンスがあれば、ここら辺の家を見て、候補を絞り込んでみたいと思います。
ホームズゆかりの地はこちらでも
「バスカヴィル家の犬」の舞台になった「ダートムア(Dartmoor)」。荒涼とした魔犬伝説の地へ。
コメントを残す