ロンドン・シャーロック・ホームズ協会が主催、ベテラン会員で地理学の大家、バーナード・テービスさんが案内してくれたホームズゆかりの地を巡る南ロンドンツアー。前回は「四つの署名」に登場したショルトー兄弟の家を探索しました。
【ホームズゆかりの地】ロンドン・ホームズ協会主催・南ロンドンツアー(1)「四つの署名」サディアス・ショルトーの家を探索 | Master of Life Blog Remaster
今回は「緋色の研究」に登場した、ジョン・ランス巡査の家を中心に紹介していきたいと思います。
次の目的地の途中でドイルの家を見学
バーソロミュー・ショルトーのポンディシェリー邸(と推理される家)の見学を終えた一行は、次の目的地へ向かうために再びバスに乗り込みました。
この年代物のバスも味わい深くて良かったです。
まず目指したのは「ボール箱」でスーザン・カッシングとの面会を終えたホームズとワトソンが昼食をとったウォリントン村(Wallington)のホテルです。ホームズに倣って我々もそこで昼食をとる予定です。
道中、12 Tennison Roadに立ち寄りました。ここはコナン・ドイルが1891年から1894年まで住んでいた場所です。
家にはちゃんとプラークも付いていました。
そしてCross Road(作品中ではCross Street)で、スーザン・カッシングが住んでいたと思われるテラスのある建物をバスから眺めつつ、ホームズとワトソンがたどった道をWallington目指して進みました。
「ボール箱」事件で、Missカッシングとの面会を終えたホームズとワトソンはウォリントンの”a decent hotel”と形容されているホテルで昼食をとりました。
「なあに、話なんか聞かなくてもいいんだ。顔をみるだけでよかったんだが、知りたいことはどうやら手に入ったようだ。御者君、食事をしたいから、どこか手ごろなホテルへやってくれたまえ。そのあとで警察へ回ってレストレードに会うことにしよう」
簡単な食事を愉快にすませたが、そのあいだホームズはヴァイオリンのことしか話さず、いまもっているストラディヴァリウスは少なくとも五百ギニーの値うちのものだが、それをトテナム・コート通りのユダヤ人の質屋でわずか五十五シリングで買ったいきさつを、大得意で語った。(「ボール箱」より)
当時Wallingtonにあった唯一のホテルはメルボルンホテル(Melbourne Hotel)というところで、現在ではO’Neil’s(割とあちこちにあるアイリッシュ系のパブチェーンです)というパブになっています。
我々もホームズとワトソンにならってこちらで昼食をとりました。
場所はメルボルンロード。
こちらがそのパブとなります。
他の参加者の方とホームズの話などをしながら、ホームズとワトソンが食事をしたであろう場所で食べる昼食は格別でした!
さて、昼食を終えた一行はA23を通って帰路につくのですが、まだいくつかの見所を残しています。
テムズ川も近づいてくるBrixtonでは、「緋色の研究」でドレッバーの死体が発見されたローリストンガーデン(Lauriston Garden)、現在のマックスローチパーク(Max Roach Park)をバスから眺めつつ通り過ぎ、さらに「青いガーネット」でガーネットを飲ませた鵞鳥を育てていたオークショット夫人の家を通り過ぎます。
その後ケニントンロード(Kennington Road)に入った一行は最後の見学地に向かうためバスを降りました。
ランス巡査の家へ
我々が目指したのは、「緋色の研究」でドレッバーの死体を発見したランス巡査が住んでいたというAulton Place(作品中ではAudley Courtとなっています)です。
場所はこちら。
まずは正典での記載について復習しておきたいと思います。
「ところで私は、最初に死体を発見した巡査に会ってみたいのですが、名まえと住所を教えてくれませんか?」
レストレードは手帳をちょっと見て、「ジョン・ランスという男ですが、いま非番のはずですから、ケニントン区パーク・ゲートのオードリ・コート四六番の家へいったら会えるでしょう」
(中略)馭者はとつぜん車をとめて、
「このなかのあそこがオードリ・コートです」と灰いろに下塗りした煉瓦だての家なみのあいだの狭い路地をさした。「ここでお待ちしています」
オードリ・コートはあんまりぞっとする場所ではなかった。狭い路地をはいってゆくと、なかは石を敷きつめた四角い空地で、それをとりまいて、むさくるしい家々が軒をつらねているのだった。(「緋色の研究」より)
入り口は正典にあるとおり非常に狭い路地でした。
路地を抜けると少し広い石畳の空間が現れます。
当時は右側の壁はなく住居になっていたそうです。
番地は46番まではなかったそうです。
この建物のどこかにランス警部が住んでいたとバーナードさんは推理しました。
こちらは玄関になります。このドアを見ても11とか12番なので、通りの長さからいって46番はなかったというのも納得。
「六つのナポレオン」に登場するモース・ハドソンの店
我々はそのまま徒歩でKennington Roadに出て「六つのナポレオン」で登場するモース・ハドソンの店へ向かいます。
今では喫茶店になっているこの場所だとデービスさんは推理しました。
当時は半分の大きさの店が二つ入っていたそうです。
場所はこちら。
そしてその正面には「フランシス・カーファクス姫の失踪」事件で、特大の棺桶がオーダーされた葬儀屋だったとバーナードさんが考えている場所があります。
ここで再びバスに乗り込み、トビーがホームズとワトソンを連れて通ったBlack Prince Road(当時のBroad Street)を通って、VauxhallからKennington Laneに出て、Renfofrew Roadに入ります。ここにあるBrixton Workshop Infirmary跡をバスから眺めながら通過しましたが、ここは「フランシス・カーファクス姫の失踪」で、カーファクス姫と同じ棺桶に入れられていたローズ・スペンサーが住んでいた場所でした。
こうして最後の見学を終えた我々は、出発地点のエンバンクメント駅まで戻り、バーナードさんにお礼を言って解散となりました。
Tomo’s Comment Follow @tommasteroflife
一日がかりのツアーでしたが、とても充実したツアーだったと思います。参加者もみんなすばらしいツアーだったと言っていました。
本に住所が明確に書かれていない場所を探るというのはとても難しい作業だとおもいます。
私はFinding Sherlock’s Londonに書かれている場所を訪問しているのですが、それでも中には場所が明確でなかったり、ワトソンが書いている番地がなかったりと行ってみて苦労することもあります。
バーナード・デービスさんは建物の歴史まで調べて場所を特定しているそうですので、当時の資料集めなどさぞ大変だっただろうと思いますが、ワトソンの記述と当時の情報を元に場所を推理するというのはホームズが犯人を推理するようなもので、きっと楽しい作業だったことと想像します。
こうした偉大な先輩ホームジアンと会えたのが今日一番の収穫だったかもしれません。
コメントを残す