【読食】八木啓代さんの「ラテンアメリカくいしんぼ一人旅」を読んで外国の料理を食べる楽しみを考える

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ある日作ったシンプルな炒飯です。

「中華の基本だから」なんていう知ったかぶりの理屈を振り回して炒飯を注文する。そして、香港の中華は大したことなかった、なんて言っている人がいます。(P194)

食について読むということ

世には料理本・レシピ本に限らず、食にまつわる様々な本・メディアが溢れています。

なんでちょっとした違いしか無いレシピについて、こんなにたくさんの本があって需要があるのでしょうか。定番の料理であれば、微妙な違いはありますが、概ね材料や作り方は同じはず。それなのに、イタリアンのコーナーにはレシピ本が何十冊と並び、和食・中華・フレンチなども同様です。さらに食に関するエッセイや歴史の本、ガイド本、雑誌なども加えるとさらに多くの本があります。

私自身、料理本を買って読むのが好きなので、ちょっと振り返って見ました。

まず、食にまつわるエッセイや旅行記はその著者独自の視点が書かれていますので、必ず食にまつわる新しい発見や学びがあります。ですので、この方面についてはあまり気にせずあれこれ乱読しています。

レシピ本についてはどうでしょう。こちらもやはり、自分の持っている知識以上の何かが書かれていそうなものほど魅力的に感じます。イタリアンといっても、ペペロンチーノからボロネーゼやジェノベーゼなどの定番を扱う本よりも、例えばある一つの地方に焦点を絞っているようなレシピ集だと見たことのない料理にも出会えますし、その地方の多くの料理を知ることでその地方の全体像がつかめることもあります。

例えばシチリア料理の本を読むと、アーモンドやオレガノ、マグロなどのよく使われる食材の特徴もありますし、アフリカ大陸に近い場所柄なのか中東の影響を感るなどの発見もありました。

 

レシピ本といってもただ単に料理のできあがりの写真に文章で材料と作り方が書かれているだけの本もあれば、調理工程の各所での写真が添えられていることもあります。合間合間に料理にまつわるエッセイがはさまれている本もあります。

私の好みの料理本は、テーマが明確で深みがある事、写真が綺麗であること、レシピと同じくらいその料理の特徴やその料理を食べる人たち・歴史などについて解説がされているもの、のようです。

 

前置きが長くなりましたが、今回再読したこちらの本は食のエッセイでありながらレシピ本にもなっている、そして旅行記としても面白い、というなかなかのヒットとなりました。

 

著者の八木啓代さん

著者の八木啓代さんはプロのミュージシャンの方だそうです。だそうです、と書いたのは、実は私が八木啓代さんを知ったのは、「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」の活動の方からだったからです。

検察による証拠の偽造などの不正を徹底的に追求していたのが上記の「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」で、その中心が八木さんでした。ブログに舌鋒鋭く(でもユーモアも忘れず)検察を追求する姿勢がとても印象に残っていました。

その八木さんはミュージシャンでもあり、そして本書のような本を書く方でもあったわけです。多面的な魅力のある方のようにお見受けしました。

 

本書の内容

八木さんがかつて暮らしたことのあるアルゼンチンやメキシコの食生活・食文化にまつわるあれこれがエッセイ風に書かれているのに加えて、日本でも手軽に入手できる材料を使った現地料理のレシピも豊富に紹介されています。

レシピ部分も簡潔ながら分かりやすく書かれているのでちょっとやってみるか、という気になるものばかり。馴染みはあまりないのかもしれませんが、説明を読んでると美味しそうで食べたくなってきます。

八木さんがよく行かれているラテンアメリカが中心に描かれていますが、他にも沖縄のことあり、香港のことありと旅情を誘う本でもあります。

ここまででも十分満足なのですが、それ以上に個人的にヒットだったのが、これまで自分ももやもやしていたのを明確に切り捨ててくれているくだりです。冒頭の炒飯のくだりも好きですが、他にもこんなことを書いてくれています。

 香港といえば、日本から食べ歩きに出かける方も多いところですね。リピーターの方ならご存じですが、注意しなくてはいけないのは、店によっては「日本人用メニュー」が存在するという事実。(中略) 開いてびっくり。 広東語のメニューにはなかった、酢豚・北京ダック・海老チリの「日本人のよく知っている中華料理三点セット」が、ばっちり、いちばん目立つところに「おすすめ料理」として載っているではありませんか。 日本人相手なら、とりあえず、これを出しとけば喜んで帰ると思われているのだねぇ。冗談じゃないよ。なにが悲しくて、香港くんだりまで来て、そんな料理を食べなあかんのだ。(P93〜94)

これ、私もたまに反省することがありますが、レストランでついつい自分が知っている代表的なものを頼んでしまいがち。これは中華以外の料理にも当てはまります。中華料理と言ってもイタリア料理と言っても、たった一種類の地域性しかないわけではなく、地域色豊かで、実は地域間で共通するものすら少ないのです。

もちろん、日本だったり外国でも観光地だったりすれば、地域性へのこだわりもなく、その国のなんでも有名なものは置いてあるレストランも多いと思います。しかし、せっかく本場に行ったのであれば、その地域で何が美味しいのか、事前に調べるなり現地の人に聞くなりしてそれを食べた方がよほど楽しいと思います。もし美味しくなかったとしてもそれはそれで貴重な経験になると思います。食べることがその国を知ることをモットーにしている私には非常に響いた一節でした。

 

そしてさらにこれも大変共感したところです。冒頭に引用した箇所に続くところ。

 もっとたちの悪いのになると、その店のパスタの扱いがいちばんわかるからと、イタリアの高級店まで出かけて、通ぶって、ペペロンチーノ・アーリオ・オーリオを注文する阿呆がいたりする。 これって、「吉兆」できつねうどんを注文するようなものですよね。うわっ、恥ずかしい! ペペロンチーノ食べなきゃ、パスタの扱いがわからないほど舌が鈍いのだったら、高級店なんて行く値打ちないです。 似たようなので、メキシコの一流料理店でタコスをオーダーするのも、同じことです。タコスというのは、たこ焼きとかお好み焼きと同じような、軽食の部類ですから、お好み焼きはお好み焼き屋で食べるのがいちばんおいしいように、庶民的なタコスの専門店で食べるのがいちばんおいしいし、もちろん、値段もリーズナブル。(P94)

やはり食べるものにはその食べるにふさわしい場というものがあります。庶民的なものは庶民的な場所で、高級なものは高級な場所で。場違い、ということでは、そのものが持つ本来の味も味わえません。こうしたことを知ることもその国を理解する一つの努力だと思います。

 

日本というのは外国のいろいろなものを柔軟に取り入れて日本人にあうようにアレンジすることが得意な国と言われています。料理も例に漏れず、様々な日本流アレンジが存在しています。

例えばパスタ。ナポリタンやミートソースに始まり、たらこや納豆まで。自分たちの食文化にアレンジして美味しく楽しむことを否定するつもりは全くありませんが、そのオリジナルに思いをはせる、そしてリスペクトする気持ちを持つことも重要なのではないかと日々感じているのです。

パスタ一つとっても、スパゲッティだけがパスタじゃないこと、イタリアには地域に応じた様々なパスタとその食べ方がある事、オリジナルなレシピや定番の組み合わせ、などについてちょっと興味を持って調べてみるだけでも、イタリアのある地域のことについて理解が進みます。そしていつか行って食べてみたいと思うかもしれません。その上で、あれこれとアレンジした料理をすることで、オリジナルを作った人たち、愛している人たちへの敬意にもつながると思います。

寿司は今やグローバル化して、世界各国で様々なアレンジがされています。そのことを否定するつもりは毛頭ありませんし、食文化の多様化としてむしろ歓迎すべき古都だと思います。しかし、遠い異国の地で、これが寿司だ!と売られているものが、日本の寿司とはまったく煮ても似つかわしくないものであったらやっぱり日本人としてがっかりしてしまう気持ちも皆無とはいえません。同じ事ではないでしょうか。

 

アレンジは否定しないけど、そのオリジナルを作り守り育ててきた人への敬意というのは忘れてはいけない、と、この本を読んで改めて考えが至りました。

 

Tomo’s Comment 

とても共感するところの多い本でした。感想はすでに書き尽くしたので、最後に我が意を得たりと思った部分を引用して終わりにしたいと思います。

外国に限らず、本当においしいものを食べられるようになるただ一つの方法は、「自分が何を食べたいか」とか「ふだん自分が食べている○○と食べ比べてみたい」ではなくて、その料理店の料理人がいちばん得意にしている料理、または、その店に出入りする地元の客が好んで注文している料理を味わうことです。できればその国独特と思えるような食材を味わってみるのがいい。

そうすれば、本当の意味での「本場の味」が口にできるのです。

 

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