【ホームズ】シャーロック・ホームズの長編新作?「絹の家」

絹の家

ジョン・ワトソン博士が書いた(一部ホームズ自身が書いたり第三者的に書かれたものもありますが)シャーロック・ホームズの事件記録は短編56作、長編4作があります。その他にも公表はされていないものの、記録中に事件のタイトルや内容が断片的に語られた事件が多数ありますが、基本的には短編長編あわせて60編が基本テキストとされており、正典=Canonと呼ばれホームジアン(またはシャーロッキアン)の研究の対象となっています。

そんなシャーロック・ホームズに61作目の長編が発表される?ということで話題になったのがこの「絹の家」です。

 

61作目なのかパスティーシュなのか

上にも書いたタイトルや概要だけが紹介された語られざる事件などをヒントにしたりして、新しいホームズの作品を書いたものはパスティーシュと呼ばれています。有名なところではエラリー・クイーンやドイルの息子、エイドリアン・コナン・ドイルとディクスン・カー、私の一推しのジューン・トムソンの一連の作品などがあります。

しかしこれらの作品は60編の正典とは区別されてきました。それなのに、なぜこの「絹の家」が61作目の作品と呼ばれてているのでしょう。

これにはコナン・ドイル財団が大きく関わっています。

コナン・ドイル財団はコナンドイルの息子、上述のエイドリアンが作った財団で、コナン・ドイルの著作権の管理をしています。最近では、アメリカにおけるシャーロック・ホームズの利用に関し、レスリー・クリンガーと裁判をしたことでも話題となりました。

そんな財団が61作目のシャーロック・ホームズ作品として認定したのがこの「絹の家」です。

面白い作品だとは思いますが、オリジナルの60作品とはやはり若干テイストが違っているというのが私の感想。ということで、やはり私としての結論は「絹の家」はパスティーシュの一つに過ぎません。

コナンドイル財団もこれを公認にするくらいなら、できのいいパスティーシュを認定して、「語られざる事件」すべてをコンプリートしたらいいのに・・・と思いました。

 

「絹の家」の出来映えは?

(以下若干のネタバレありです。)

 

上で正典ではないと書きましたが、作品自体は面白く読めました。

「ハンチング帽の男と絹の家」という事件をホームズの死後にワトソンが回想して書いたというのが本書の設定です。

アメリカで起きた強盗事件を発端に、最終的にはイギリスの上層階級も巻き込んだスキャンダラスな事件の解明へと進むのですが、この過程でワトソンやホームズにもかなりのピンチが発生したり、モリアーティー教授が登場したりと、見せ場(読ませどころ?)が多くなっています。

読み終えてみると、この内容の事件はヴィクトリア時代には発表できなかっただろうなと思わせる一方、オリジナルのホームズ作品との違和感の原因ともなっています。あえて長編にしていたり、アメリカでの出来事を持ってくるあたりは、正典へのリスペクトが感じられます。というのも、ホームズの数少ない長編のうち、「緋色の研究」と「恐怖の谷」でアメリカでの出来事が作中に挿入されているということもあります。テイストとしては「恐怖の谷」に少し近いものを感じられるかもしれません。

不満をあげると、ホームズの死後にワトソンが書いているという設定。勝手にホームズを殺すな!と思ってしまいます。それからやはり文体が現代っぽく、オリジナルとは違うことが明らかであること。このあたりは翻訳者によっても変わってくるので、原作を読まないと何とも言えないところではあるのですが。風景の描写などはオリジナルっぽさを感じなくはなかったのですが。

他の事件を言及しているあたりは、ホームズ愛を感じますが、オリジナルではもっとあっさりと使ってますし、そもそも語られた事件への言及はあまりない野で逆に違和感も感じます。

 

Tomo’s Comment 

いろいろと書いてはいますが、61作目のとか考えずに読めばストーリーは起伏があって楽しいですし、お馴染みの登場人物も活躍していますので十分以上に楽しめる作品とはなっていると思います。

ただやはり自分の中では上述したパスティーシュを超えるところまではいってないように思いました。

 

 

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