不定期連載のBBCドラマ「シャーロック」を見て原作のシャーロック・ホームズに興味を持った人のためのシャーロッキアン講座。
前回はジョンがシャーロックの名前で検索した結果と、推理の科学についての原作との比較を述べてみました。
今回は二人が借りることになるベーカー街の下宿の話となります。
ジョンとシャーロックが訪れたベーカー街
シャーロックについてサイトを見たジョンは少しはシャーロックについての知識を得た上で翌日ベーカー街へ向かいます。
このベーカー街、撮影に使われたのはNorth Gower Streetという場所で、実際のベーカー街からはかなり東に行ったあたりに位置しています。
先日訪問した際のレポートはこちら。
そしてここがシャーロックとジョンが入っていった下宿の入り口のドアとなります。このドア、さまざまなエピソードで登場します。
ドラマでは221Bとドアに書いてありますが、実際は187番地ですので、普段は187と書かれています。撮影の時だけ変えるのでしょうね。
そしてこの部屋の中でのシーンは、このビルでは無く別にあるセットで撮影されたそうです。
なぜ本物のベーカー街の221Bを使わなかったのでしょうか。実はベーカーガーの221Bは現在では大きなビルが建っていて、いくつかの番地を占めています。
この下の写真の建築中のマンションの一部がベーカー街221となります。(かなり前に撮影したため工事中ですが今ではすっかりできあがっています。)
したがって、221は単独では存在していないのです。
そして上の写真の真ん中あたりに少し人が並んでいる場所が見えると思います。
ここがシャーロック・ホームズ博物館。入り口の上の青いプラークには221Bと書かれていますが、実際の番地は239となっています。
ホームズの時代には存在しなかったベーカー街221番地
上記のベーカー街221は、実はホームズが活躍したビクトリア時代にはベーカー街ではなくアッパーベーカーストリートと呼ばれていました。ベーカーストリートは同じ通りですが、もっと南の一部だけでした。その後、通りが再編され、ベーカー街が北にあったヨークプレース、アッパーベーカーストリートを併合した結果、221番地もできあがったのです。
当時存在しなかったベーカー街221Bを下宿の場所として使ったのは、読者に場所を知られないためのワトソン博士の工夫だったと考えられています。
ということで、シャーロッキアンの間では、ホームズとワトソン博士の下宿は実際にどこにあったのかということが古くから議論されてきているのです。
原作の下宿の位置や周辺環境、建物内部の構造などを総合して、場所や建物を探るのですが、今の所決定版とされる説はありません。
ここでは多くの説について解説するのは難しいので、ホームジアン(英国のシャーロッキアンのこと)の中でも私も尊敬している地理に強いバーナード・デーヴィスさんの説だけを簡単に紹介したいと思います。
バーナードさんによるベーカー街221Bの場所の推理
バーナードさんの説は日本語にも翻訳されていて、「シャーロック・ホームズ17の愉しみ」という本に収録されています。
場所を考えるためのヒントとなる記述はたくさんあるのですが、デーヴィスさんが重視しているのは「空き家の冒険」の次の記載です。
ホームズはカヴェンディシュ広場で馬車を停めた。(中略)ホームズがロンドン市内のぬけ道に明るいことは、真に驚くべきものがあった。この晩も彼は何のためらうところもなく、私なぞは存在すら知らなかったような厩舎のあいだをぬけて足ばやに歩き、古い陰気な家のたち並ぶ小さい通りへ出たと思ったら、そこからマンチェスター街へ、そしてブランドフォード街へと出た。と思ううちまた素ばやく狭い通路へとびこんで、木の門を潜り、人けのない裏庭に入ると、鍵をだしてとある家の裏戸をあけ、二人がなかに入ると急いであとを閉めた。
この「空き家の冒険」というエピソードでは、ホームズは自身を狙いに来る暗殺者をおびき出すためにベーカー街の下宿に自分の形をした人形を飾り、自分は反対側にあった空き家に身を潜めることにします。その空き家に直接馬車を乗り付けると目立つからだと思いますが、少し離れたところ(カヴェンディッシュ広場)で馬車を降りて歩いて向かいました。その道順が書かれています。
地図を見てみましょう。
青い点線がホームズがたどったキャベンディッシュスクエアからマンチェスター街からブランドフォード街の道筋となります。(正確にはマンチェスター街までの経路はわかりませんが。)そしてベーカー街から見て裏側の狭い通路というのは北に向かうブロードストーン・プレイスか南に向かうケンドールプレイスしかありません。
そしてバーナードさんがホームズの時代に作られた地図で確認すると、裏庭があって裏戸がある建物(そして別のところで街灯の灯りが近くにないと書かれているため街灯から離れた建物)はケンドールプレイス側に曲がったところにあるベーカー街34番地の建物しかありえないことになりました。ここが「空き家」ですので、ホームズの部屋は道路を隔てて反対側となります。
ホームズの下宿の描写としてはソア橋にこんな記載があります。
それは風の強い十月のある朝のことだった。私は起きて裏庭を飾るたった一本のスズカケの木の残り少ない枯葉が、ひらひらと風に舞いおちてゆくのを見ながら服をつけおわると、芸術家の常として環境に気分を支配されやすいホームズは、さだめししょげていることだろうと、食事のため階下へ降りていった。
つまりホームズが下宿している建物にも裏庭があったことになります。
バーナードさんは34番地の通りの反対側の建物で裏庭がある建物を探したところ、31番地の建物がそれにあたるという結論に達しました。
結局は誰も正解を知りませんので、各自がそれらしい理由でもって自説を展開しているという状況なのですが、私はバーナード・デーヴィスさんの述べている根拠はもっとも信頼が置けると思っています。でも、結局こうした問題を解いていく過程を楽しむのがシャーロッキアンなので、正解と認定されなくても十分楽しめているのです。
Tomo’s Comment
シャーロッキアンがホームズのことについてここまで真剣に議論や検証をして自説を唱えているのは端から見ると滑稽かもしれません。しかし本人達は大まじめに取り組んでいるのです。むしろこうした研究活動を本物の研究であるかのように行うことを楽しむのがシャーロッキアンの楽しみとも言えます。
私もロンドンにいるときはホームズゆかりの地をかなり歩き回りましたし、バーナードさんの案内でテムズ川の向こう側の「四つの署名」などに登場する家を見学に行ったりしました。その度に感じたのですが、ロンドンは町並みが昔のままで良く残っていることから、ホームズの時代の描写もなんとなく読み取れるような雰囲気を残しています。
こうした経験から、私個人としてはホームズに登場する場所に行ってあれこれと考えてみるのが最も力を入れている活動となります。ホームズ研究のうち地理学といえる分野となりますが、その未知の大家、バーナードさんの研究はとても興味深く、私のバイブルとなっています。
かつて巡ったロンドンのホームズゆかりの地は、旧ブログで紹介していますが、今後これらの記事を見直しをして加筆修正した上でこちらのブログに移行していくつもりです。
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